物置小屋

いろいろ置いてく。

【報告】鼻血が出ました。

 

起床した直後に洗面台に向かって顔を洗っていたら血がポタポタ落ちてきて、あ、鼻血かと思って慌ててティッシュで止血しました。

久しぶりに鼻血がでたんですが、鼻血出るとびっくりしますね。

鼻血が出る仕組みは詳しくないものの、
原因を考えたんですが、
寝るとき暖房つけっぱなしにしていたのが原因かもしれません。

暖房つけることによる乾燥や室温で鼻血が出やすくなることがあるのかなあ。

もしくは、その前の日に久しぶりに紙巻きタバコを吸ったせいかもしれません。

以前、紙巻きタバコ吸うとなんか血の止まりが悪くなることがあったので影響してるのかなあ、と思いました。

もしくは、その前の日にアイスバー食べすぎたせいかもしれません。

チョコレートのコーティングされたバニラのアイスバーなんですけど、小分けの箱パックで買ったんですが、ついつい次から次へと手が伸びて食べすぎてしまった。

糖分の取りすぎて鼻血がでるというのはよく見聞きする話です。

鼻血の恐怖に合わないよう

今後は、
生活習慣、食生活にも気をつけていきたい所存です。


おわり。

 

【感想文】映画『シェーン』(1953年)

【ネタバレ注意】

名作映画『シェーン』を観ました。

前から見ようと思ってたけどなかなか見なかった、50年代の西部劇に分類される映画です。

西部劇といっても監督や作品によって多様だと思いますが、『シェーン』はいわゆる感動的な名画としてアメリカでも日本でもよく名前があがる作品です。

西部劇というジャンルはおそらく映画勃興期からわりと人気があって40年代50年代60年代あたりに隆盛を極め、いろいろなジャンル的な洗練や変革を経て70年代後半くらいには人気が収束していったたということです。

僕が生まれる前の人気映画ジャンルということもり、当然映画館でもテレビでもあまり頻繁に見ることはありませんでした。

しかし、映画史的には今の他ジャンルの作品にもその影響が色濃く重要だとかなんとか。

最近、自分が観た他の西部劇映画として、ジョン・フォード監督の『駅馬車』(1939)、マカロニ・ウェスタンの『夕陽のガンマン』(1965)『続・夕陽のガンマン』(1966)があります。

前者は評判どおり映画技法史上、重要な映画としてあげられる作品、という感じでした。内容的には西部の自然と人々の織り成す丁寧なドラマ、アクション要素という感じです。後者の二作品は、荒く乾いた無法地帯的な世界観で男たちが欲望のもと大金をめぐり策を巡らし裏切りや結託を繰り返しながら、ひたすら銃を撃ち合いまくる的などこか滑稽みもある大変面白い作品でした。

今回観た、『シェーン』は駅馬車のような作風をもとに近、さらに文芸的、ヒューマニスティックな色合いが強い作品でした。

『シェーン』を観ていて感じたのは、農耕牧畜的生活を送る人々の温かみのあるシーンと暴力で生命や財産が脅かされるシーンが交互に織り成されることによって、シンプルで力強い「緊張と緩和」の丁寧な進行が当時の映画として、十分に画面に惹きつけるものであったたことです。

『シェーン』の舞台となるおおまかな時代背景は、映画を見る限りでは、西部の開拓地において放牧で転々とするカウボーイが武力で土地を開拓していく時代が終わり、法と秩序とともに土地に定住して酪農的生活を営もうとする農家たちが現れはじめる時代の転機、といったものでした。

時代の転機と世代の交替ということを背景に善良な農業生活者たちと横暴なカウボーイの対立という構図をとって物語は進行します。

カウボーイの一味の首領である老いたライカーは、妻と息子と家族三人で暮らす酪農業を営むスターレットに土地を明け渡せと要求し、拒まれると嫌がらせを続けます。

土地の他の農業居住者の中からもカウボーイに脅され、嫌がらせを受けて去っていくものもでてきます。

そうした中で、流れ者のガンマンであるシェーンはスターレットの牧場と家にたまたま訪れ、スターレットの家に居候し、家業を手伝うことになります。なお、冒頭のシェーンが初めて訪れる場面で、スターレットの妻とシェーンがやたらと顔をみあわせるカットがあって、嫌な予感がしたのですが、この夫婦とシェーンの間に「三角関係」が成立し進行します。しかし、この三角関係の描写は非常に控えめで三人とも慎ましい態度で見ている側の好感度は高そうです。

また少年が名前を呼び戻ってきてと叫びながら、シェーンが去っていくのを見送るというあの有名なラストシーンでもおなじみの少年とも親交を深めていきます。少年は、大人の事情などは殆どあまり意に介せず、シェーンのガンマンとしての腕さばきや強さなどに関心を寄せ続けるなど素朴な少年というキャラクターを終始貫くという点が今見ると逆に印象深かったです。顔の造りも含めて表情の演技も素朴でわざとらしさを排した感じです。

こうしたスターレット一家とシェーンとその他の村落の人々の触れ合いのシーンは実に温かみがあり楽しそうでした。そうしたシーンと先ほどの悪のカウボーイ一味がスターレット一家やその他の農業民から奪おうと宿屋で策謀を練ったり、スターレットの家まで脅しにいったりする緊迫したシーンや、酒場での乱闘や銃での決闘のシーンなどがシンプルだが効果的な音響の変化とともに細かく交互に繰り返されていくところが、観るものをひきつけるという点で非常に巧みに感じられました。

イカー一味に抵抗するスターレットやシェーンはどちらも熱くカッコいい男たちです。

イカー一味との対立が緊迫感をもたらすのは、交渉の体裁をとり即時的な暴力的な対決でもなく、かといって法の執行人である保安官がすこし離れた地に存在していて何かがあっても即座に対応できないという舞台設定による事も大きい。また、かっての開拓時代のカウボーイたちの功績を持ち出し正当性を主張しようとするライカー一味と、牛を放牧させて転々とするだけではダメで定着して土地を肥やし畑作農業を営むことの重要性を主張するスターレットとの対立は、大げさに言えば「時代の変化」「世代の交代」という思想的対立も含ませているようです。しかし、対立はエスカレートし、ついに殺すか殺されるかというとこまで展開していきます。

シェーンはスターレット一家の元で周りから定住をするかのような期待をもたせますが、流れ者としての身、さらに一度得てしまったガンマンとしての烙印を消し去ることはできない、定住者の代わりにに悪党を始末し去っていくわけですが。

古い有名な名画ということもあり、最終的に解決されるべき問題は冒頭に提示されるということで結末は用意に予想できるわけですが、そこまでの出来事や人間ドラマなどは密度が高く的確で見ごたえのあるものでした。

『シェーン』一応みといてよかった、と思いました。

 

おしまい。

 

 

 

 

【感想文】映画『メリー・ポピンズ リターンズ』(2019年)

【ネタバレ注意】

ディズニー映画 『メリー・ポピンズ リータンズ』を見てきました。

メリー・ポピンズの以前の映画は見てませんが、内容的に全然大丈夫でした。

この映画は夢と現実が交錯するかのようなミュージカル映画で、メリー・ポピンズおばさんが子供たちに人生で大事なことを歌と踊りで教えていくといったような映画だと思いました。

主な登場人物は、パパと三人のかわいらしい子供たちと労働運動をしているパパの妹と家政婦と空から突然現れるメリー・ポピンズ、街灯に火をつける男、悪い銀行の頭取と召使などです。

 

主なあらすじはパパと子供たちとの住む家が借金のカタに抵当にいれて、その期限が迫ってきてどうしよう、という起点からクライマックスの結末に向かうというシンプルなものです。

起点と結末はこのようですが、その間の映画の大部分ではメリー・ポピンズが子供たちに大切なことを教えるというファンタスティックなミュージカル・シーンが幾度も繰り返されます。特殊効果やアニメーションなど豊富な美術と歌とダンスが躍動的な映像で織り成されており見ごたえがあります。

自分が観ていて、気になったのは

このパパの好感度大丈夫か?という点でした。

資産家の生まれで画家を生業として

お金には疎く、いざ経済上の危機に陥るといかにも頼りなく動揺しあたふたしてしまい無力で、悪い銀行頭取にうまくいいくるめられ、子供たちにときに強く当たるという人物。

もちろん、メリー・ポピンズの教えを受けた子供たちに大切なことを気づかせるというプロセスのために必要な描写だったのだとは思うのですが、

正直、いくらなんでもこのなよなよっぷりは好感度大丈夫か?と心配になりました。

とはいえ、大人には容易に予見できる結末に向かうとはいえビッグベンのシーンなどクライマックスの盛り上げの勢いはなかなか素晴らしく、終わりもよかったと思います。

美術やCGのテイスト的には同じディズニーの『くるみ割り人形と秘密の王国』のすこしダークで摩訶不思議なイメージの方に個人的にやや魅力を強く感じますが、

この『メリー・ポピンズ リターンズ』では、チェイスシーンがお気に入りでしたね。

あと、同じくディズニー実写の『プーと大人になった僕』もたぶん以前観たんですが、ちょっと今はおじさんが森をうろうろしていたことしか思い出せないです。

あとどうでもいいんですけど、最近若干、高所恐怖気味なんで、自分が風船で飛ぶのを想像したら、こえええって思ってみてました。

メリー・ポピンズ映画の原典も観て見たいなぁ、と思いました。

以上、感想。

おしまい。

作品データベース年別アニメカテゴリベスト3

作品データベース 

https://sakuhindb.com
1960~2017
年別アニメカテゴリベスト3 (2018年5月1日時点 ※以後変動の可能性あり)

 

1960年代

1970年代

1980年代

1990年代

2000年代 

2010年代

無限のアクティビティについて

今やコンテンツは無限だ

ここのところ定額動画配信サイトに入り浸っている
ここのところというかもう二年くらいどっぷりはまっている
バンダイチャンネル、U-NEXT、Netflix、解約手続きが面倒なので、時期をみて時間が充分にあるときやみたい作品があるときにあわせてプリペイドカード等で適当に加入退会をくりかえしている
とんでもない量のとても消費しきれない映像コンテンツが月額1000円程度で見放題だ
私が子供の時代には考えられないことだ
いや子供時代もテレビは見放題なのだが見れるコンテンツ選択の自由度が圧倒的に違う
利便性の面からいっても動画配信サイトになれてしまうと
そのあまりの便利さに
もはやレンタル屋さんにいってディスクメディアを借りてきてプレーヤーにセットして見終わったら返却しにいくなどというまどろっこしい手続きなどというものには戻れない
なんなら定額範囲外の作品も若干高くても有料でレンタルするくらいだ
驚くべき低コストで無限に映像作品が消費できる
なんという時代だ

映像をみるという無限のアクティビティ

だが考えてみれば利便性が上がっただけで
もともと多少のコストさえかければ
映像鑑賞も、音楽を聴くことも、読書をすることも死ぬまでは無限のアクティビティなのだ
さらにいえば
働くことも歩くことも寝ることも空を眺め続けることも無限のアクティビティなのだ
死ぬまでは

人生の時間は有限だが無限にやるべきことはある

何かを苦にして自殺なんてしていられない

ならば下らない悩みを苦にしてしまうくらいなら
なんでもいいから
無限のアクティビティに没頭しよう

つい先日、インターネットさえあれば寂しくないですよねとリアルで言ったら
その考え方は寂しいですよ!と言われたけれども

無限のアクティビティさえあれば
断じて寂しくはない!

リトルミスサンシャインの監督夫妻が作ったMV

先月YouTubeでまとめてリスト作ったの今さっき思い出したから時間のある人みてみて。

www.youtube.com

 

ジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ファリス - Wikipedia

 

ぼくはとくにレッチリスマパンのやつがすきです。

機械翻訳の進展と英語の重要性

機械翻訳が活発になるにつれ国際基軸言語としての英語の地位はますます高まる

そんな気がしてきた

明確な根拠はない

ひとことでいうとカンだ

 

機械翻訳のめざましい発達につれて

翻訳家が英文を翻訳する機会が減りそうだ

機械によってそんな機会が減ってしまうだなんて困惑してしまう

 

ネットでは機械翻訳すごいから翻訳家とか必要なくなってくし英語勉強しなくてもよくなるかもね派と、いやいやそうでない派がたまに議論している

 

それはどうでもいいんだが、機械翻訳が進むとどんどん英文が翻訳されて便利だ

だけど翻訳されるのは英語の文献が多いのではないか

日→英の翻訳性能も向上しているのだろうか

需要から考えて英→日より進んではないのではないか

 

おそらく他の国の言語でも英語の文献からの翻訳機能の強化が一番進んでるのではないか

 

もしそうならばそれは英語の文献がやはり貴重な情報を多く含んでるからだろうか

だとしたら翻訳されればされるほど英語で発信された情報が広まり

逆に言えば英語で発信したら翻訳されやすいということにもならないだろうか

ならないか?

なるだろうか?

 

そうであるならば

翻訳機能の強化によって英語の国際言語の地位はますます向上するので

この言語の翻訳的な運用能力はともかく

直読直話、文章作成能力の必要性は高まるのではないか

 

と勘で思った。そして上記のように後付けで理屈をつけてみたものの、仮説が多く検証がすくない。

 

もしかしたら

英語の重要度合いはますます高まるのでは?

 

という逆張りでした。